※別のところで書いていた読書記録を転載。
実際に読んだのは2023年1月2日くらい。
『未完の美学』曽野綾子
〈諦めることなのだ。できることとできないことがある。体力、気力の限度がある。諦めて詫びるほかはない。それだけに、一瞬でも、人や家族に尽くせる瞬間があったら、それを喜んで大切にしなければならない。人間は必ず、どこかで義理を欠いて後悔とともに生きる。そんなことは、若い時には全く考えなかったものだ。〉
〈まず最初に、過不足なく心が伝わる、などということを諦めることだ、と私は思うことが多い。諦めはどんな場合にも有効な解決法だ。自分の命にせよ、不運にせよ、最初から少し諦めていれば、深く絶望したり恨んだりすることもない。〉
〈私はいつもゼロから出発する。ゼロから見ればわずかな救いも、ないよりは、遥かにましである。〉
〈今は自分自身が何より大切で、社会も他人もそのことを認めて自分の希望を叶えるべきだ、と信じている子供や大人が珍しくない。こういう利己主義者は個性が強いように見えるが、実は精神もひ弱で、個性も稀薄な、内容のない人物なのである。たった一人、その人らしい強烈な個性を育てたかったら、逆説めくが、他人の存在の真っ只中に常に自分をさらさなければならない。そしてある程度傷つかなければならない。満身創痍の人が強く、味わい深くなるのである。〉
〈人間死ぬか生きるかどちらかで、その中間というものがないのはおかしなものです。ですから、死ぬ日まで若かろうと老いていようと、人間は生き生きと人間を続けなければならないんでしょう。〉
〈他人がしてくれないことを嘆いたり非難したりする人は、戦後の「市民の権利は要求することにある」と日教組に教えられたことを信じこんだ被害者のような気がする。それに比べて私は、子供の時から「受けるよりは与える方が幸いである」という聖書の言葉によって育てられてきたのである。〉
〈しかし寝たきりの老人でも、感謝を忘れなければ、感謝は人に喜びを「与える」のだからやはり壮年なのである。〉
〈ところが我々は思い上がるほどの能力も、喪失するほどの自信や才能も、初めから持ってはいないのだから、そういう意気込み方は何となく気恥ずかしいというものだ。〉
諦めるというか期待しないというか、あるがままを受け入れるのが大事ですよね〜自然体でね。
超淡々と書かれた文章で、感情動かされることなく穏やかに読めました。
無心で淡々と。
写経しているみたいな感じだった。しらんけど。
〈人間は必ず、どこかで義理を欠いて後悔とともに生きる〉の一文ですごく気持ちが楽になった!後悔しまくりだから。
私だけじゃないのね、人間の業だか性なのね。気をつけるにしても、それでも義理を欠いちゃうのはまぁ仕方なし。
突然の日教組ディス笑えた。
年齢的にもそろそろ「与える」人になっていこう少しずつ。町田そのこさんの『52ヘルツのクジラたち』にも同じようなセリフ出てきたし、大事よね。
▼「与える人にならんといかん」的セリフが出てくる本。
▼生き方本のなかで異色の本。