※別のところで書いていた読書記録を転載。
実際に読んだのは2022年9月9日くらい。
『旅をする木』星野道夫
〈人の心は、深くて、そして不思議なほど浅いのだと思います。きっと、その浅さで、人は生きてゆけるのでしょう。〉
〈ぼくは悠久な時間を想います。人間の日々の営みをしばし忘れさせる、喜びや悲しみとは関わりのない、もうひとつの大いなる時の流れです。〉
〈無窮の彼方へ流れゆく時を、めぐる季節で確かに感じることができる。自然とは、何と粋なはからいをするのだろうと思います。〉
〈世界とは、無限の広がりをもった抽象的な言葉だったのに、現実の感覚でとらえられてしまう不安です。地球とか人類という壮大な概念が、有限なものに感じてしまうどうしていいかわからない淋しさに似ています。〉
〈人と出会い、その人間を好きになればなるほど、風景は広がりと深さをもってきます。やはり世界は無限の広がりを内包していると思いたいものです。〉
〈ぼくたちが毎日を生きている同じ瞬間、もうひとつの時間が、確実に、ゆったりと流れている。日々の暮らしの中で、心の片隅にそのことを意識できるかどうか、それは、天と地の差ほど大きい。〉
〈人はその土地に生きる他者の生命を奪い、その血を自分の中にとり入れることで、より深く大地と連なることができる。そしてその行為をやめたとき人の心は自然から本質的には離れてゆくのかもしれない。〉
〈私たちは、カレンダーや時計の針で刻まれた時間に生きているのではなく、もっと漠然として、脆い、それぞれの生命の時間を生きている(後略)〉
〈結果が、最初の思惑通りにならなくても、そこで過ごした時間は確実に存在する。そして最後に意味をもつのは、結果ではなく、過ごしてしまった、かけがえのないその時間である。〉
〈何も生み出すことのない、ただ流れてゆく時を、大切にしたい。あわただしい、人間の日々の営みと平行して、もうひとつの時間が流れていることを、いつも心のどこかで感じていたい。〉
タイトル『旅をする木』、深い。
単行本が出た当時は1995年。収録されているのは1993年からの文章。
まだアナログが残っている時代。アナログからデジタルへの過渡期。
私の好きな時代だー
(とか言いつつグーグルマップ片手に読んだけど。超便利)
特に序盤が穏やかで優しい語り口調(書簡体)でただただ癒やされる〜
旅する星野さんから、近況報告のような手紙をもらっている感じ。
特筆すべきは、表現がシンプルで美しいのです。
星野さんの言葉選びとても好きだなぁ。
そして、(ボキャ貧のため)私もその感覚を抱きながらも言語化できていなかったものが星野さんによって平易な言葉で表されていて、めちゃくちゃスッキリ。
これはそういう感覚だったのか。
アラスカなどの自然、そこに住む人々との出会いから得られた貴重な感覚を少しでも共有させてもらえるのは、とても有り難いし贅沢ですね。
自分ではとても得られない体験だし。
こういうとき本って素晴らしいなぁと思う。
アラスカの自然はきっと想像できないくらい壮大なんだろうなと思いつつ、あまりにも生と死が近い印象というか。
だからこそその大地に感動を覚えるのだろうけど、私はきっと恐ろしくて行けないだろうなぁ。
いや、想像しただけでも見てみたい景色はたくさんあったんだけども。
自然への畏怖というか、こんなむき出しの自然の中で生き残れる気がしない。
人間存在のちっぽけさを思い知らさせて打ちのめされそう。
それでいいんだけど、リセットされる感が怖いというか何というか。
むしろリセットしたほうがいいのか。
出会う人々みな『人生という旅の途中』という言葉が浮かぶ人ばかりで、自分もここにずっと立ち止まってばかりいないでちょっと違う景色を見たくなった。
それはリアルな景色でもいいし、思考でも良いんだけど。
常に移動し続ける旅がいいとは思わんが、今の私は停滞しすぎだなと。そりゃ淀む。
約30年前のアラスカがこんな感じとして、今はどんな感じなんだろう。変わったのか、変わっていないのか。
第二次世界大戦について、アラスカ方面にも戦線が広がっていたとは恥ずかしながら知らなかったので勉強になった。
戦争についてはまたきちんと学びたいな。
んで子どもに伝えたい。
遠いアラスカの地に思いを馳せたいい時間だったー
これはまた読もう。
私の中で星野道夫ブームが来そうな予感。